6月17日 青春
admin≫
2010/06/17 22:06:22
2010/06/17 22:06:22
今日も寝不足です。と言うのも毎晩のようにワールドカップを見てしまってます。
にわかサッカーファンといわれても仕方の無いことですが、実は高校時代は
西ドイツのサッカー選手が大好きで、野球をしていたのにもかかわらず野球の雑誌を
買わないで、なぜかサッカー誌の月刊「イレブン」と言う本をずっと買っていた。
当時の憧れの選手は、西ドイツの皇帝の言われていたベッケンバウアーとか
西ドイツの爆撃機と言われたゲルハルト・ミューラーが大好きだった。
当時のベッケンバウアーは、1971-72シーズンからリーグ三連覇。国際舞台においても
1972-73シーズンからUEFAチャンピオンズリーグ3連覇を達成。1976年のインターコンチ
ネンタルカップ優勝などの実績を残した。自身も西ドイツ代表での活躍もあって
バロンドール受賞2回(1972年、1976年)、ドイツ年間最優秀選手賞を4回(1966年、
1968年、1974年、1976年)を受賞した。まさしくサッカー界のスーパースターで
今のサッカースタイルのリベロ(攻撃に参加するスイーパー)システムを確立させた。
現在では、ドイツサッカー連盟 副会長、バイエルン・ミュンヘンクラブ会長、及び
バイエルン・ミュンヘン株式会社の監査役長。前回の2006 FIFAワールドカップドイツ大会
では組織委員長を務めていた。その姿をテレビで見たときは懐かしさに感動した。
もう一人の、ゲルハルト・ミューラーは、ボール扱い、ドリブル、パスなどは高校生レベルだと
話すドイツ人もいる程、下手であったと言われる。しかし、「ゴールへの嗅覚が鋭い」と
いう表現が正にそのまま当てはまる選手で、何故かゴール前の彼の所にボールが集まって
くるのである。ミュラーは特にペナルティエリア内でゴールを背にし、相手DFにコースを
消されているときでさえ、比類のないすばやさで下半身を反転させ、左右どちらの足からも
グラウンダーのシュートをゴール隅にたたきこんだ。また、決して高いとはいえない身長
ながらも抜群のポジション取りによって、多くのヘディングシュートも決めることができた。
その特異なプレースタイルのため、「作戦が通用しない」と言われていた。抜群の得点感覚と
ポジショニングで泥臭いゴールを得意とし、どんな体勢からでもゴールを奪った。
驚異的な数の得点を量産し『デア・ボンバー(爆撃機)』と呼ばれた。すごい選手だった。
高校当時は、何故か体育の授業は「サッカー」が多かった。体育の先生がサッカー部の
顧問であったので、言わば「隠れた選手の発掘」のように授業を通して、そこそこ
うまい選手は、「サッカー部に入れ!」と勧誘してきて、ひどいときは、他のクラブに
入っているのに、他校の試合に連れて行かれることもあり、私も度々連れて行かれた。
体格は大きい方でもなかったのですが、足が速かったのと、小さい頃から野球をしていた
ので、足腰のフィジカル面は強い方で、チームワークでのメンタル面でも割と強かった。
おまけに、当時はあまりみんな読んでいなかったサッカー誌を読んでいたので、戦略的な
ことも割りと知っていたり、技術的な解説を読んでいたのでとても役に立った。
そのお陰で、サッカー部だけでなく、なぜか!ラクビー部の試合にも度々連れて行かれた。
サッカーを見ているとそんな高校生の頃の青春時代を思い出す。あの頃に戻りたいですね!!
にわかサッカーファンといわれても仕方の無いことですが、実は高校時代は
西ドイツのサッカー選手が大好きで、野球をしていたのにもかかわらず野球の雑誌を
買わないで、なぜかサッカー誌の月刊「イレブン」と言う本をずっと買っていた。
当時の憧れの選手は、西ドイツの皇帝の言われていたベッケンバウアーとか
西ドイツの爆撃機と言われたゲルハルト・ミューラーが大好きだった。
当時のベッケンバウアーは、1971-72シーズンからリーグ三連覇。国際舞台においても
1972-73シーズンからUEFAチャンピオンズリーグ3連覇を達成。1976年のインターコンチ
ネンタルカップ優勝などの実績を残した。自身も西ドイツ代表での活躍もあって
バロンドール受賞2回(1972年、1976年)、ドイツ年間最優秀選手賞を4回(1966年、
1968年、1974年、1976年)を受賞した。まさしくサッカー界のスーパースターで
今のサッカースタイルのリベロ(攻撃に参加するスイーパー)システムを確立させた。
現在では、ドイツサッカー連盟 副会長、バイエルン・ミュンヘンクラブ会長、及び
バイエルン・ミュンヘン株式会社の監査役長。前回の2006 FIFAワールドカップドイツ大会
では組織委員長を務めていた。その姿をテレビで見たときは懐かしさに感動した。
もう一人の、ゲルハルト・ミューラーは、ボール扱い、ドリブル、パスなどは高校生レベルだと
話すドイツ人もいる程、下手であったと言われる。しかし、「ゴールへの嗅覚が鋭い」と
いう表現が正にそのまま当てはまる選手で、何故かゴール前の彼の所にボールが集まって
くるのである。ミュラーは特にペナルティエリア内でゴールを背にし、相手DFにコースを
消されているときでさえ、比類のないすばやさで下半身を反転させ、左右どちらの足からも
グラウンダーのシュートをゴール隅にたたきこんだ。また、決して高いとはいえない身長
ながらも抜群のポジション取りによって、多くのヘディングシュートも決めることができた。
その特異なプレースタイルのため、「作戦が通用しない」と言われていた。抜群の得点感覚と
ポジショニングで泥臭いゴールを得意とし、どんな体勢からでもゴールを奪った。
驚異的な数の得点を量産し『デア・ボンバー(爆撃機)』と呼ばれた。すごい選手だった。
高校当時は、何故か体育の授業は「サッカー」が多かった。体育の先生がサッカー部の
顧問であったので、言わば「隠れた選手の発掘」のように授業を通して、そこそこ
うまい選手は、「サッカー部に入れ!」と勧誘してきて、ひどいときは、他のクラブに
入っているのに、他校の試合に連れて行かれることもあり、私も度々連れて行かれた。
体格は大きい方でもなかったのですが、足が速かったのと、小さい頃から野球をしていた
ので、足腰のフィジカル面は強い方で、チームワークでのメンタル面でも割と強かった。
おまけに、当時はあまりみんな読んでいなかったサッカー誌を読んでいたので、戦略的な
ことも割りと知っていたり、技術的な解説を読んでいたのでとても役に立った。
そのお陰で、サッカー部だけでなく、なぜか!ラクビー部の試合にも度々連れて行かれた。
サッカーを見ているとそんな高校生の頃の青春時代を思い出す。あの頃に戻りたいですね!!
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