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 2月26日 正義 

今日は、コーチング研修もいよいよラストスパートになって来ているので
「プリザーブドフラワー」関係の社員さんとの「コーチング」でした。。 疲れました。。

今日、2月26日は、あの歴史上の「2・26事件」があった日ですね。

二・二六事件(ににろくじけん、にてんにろくじけん)とは、1936年(昭和11年)
2月26日-29日に、日本において、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが
1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こした未曾有の
クーデター未遂事件である。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2・26事件は4日後に鎮圧され、首謀者の青年将校や彼らの行動に影響を与えた
思想家北一輝が非公開の軍事裁判で銃殺刑となった。
この事件の影響は非常に大きく、岡田内閣が責任をとって総辞職し、広田弘毅内閣が
成立するが、組閣に当たり軍部が圧力を加え、親軍派を多く閣僚として送り込むことに成功し
、さらに陸海軍大臣を現役の大将、中将に限るという陸海軍大臣現役武官制を復活させ、
陸海軍が人材を派遣しなければ内閣が組閣できないこととなり、軍部の影響力が一気に
強大化していった。また、軍部内でも、皇道派関係者が大量に処分され、以後統制派が
実権を握っていくようになっていった。

色々とネットを見ていたら、事件で惨殺された高官の夫人たちのことが出ていた。

斉藤実内大臣の春子夫人は、二階夫婦寝室の前で、乱入してきた青年将校たちの
前に立ちふさがった。夫人越しに内大臣に銃撃が放たれる。夫人は倒れた内大臣を
かばいながらも、火を噴く機銃を掴み、「撃つなら私を撃ちなさい」と言い、そのもみ
合いの際、腕に貫通銃創を負う。夫は、40数発の弾丸を受け即死した。
 邸内で寝ていた孫である当時8歳の岡百子は、邸内の大きな声で目を覚ます。
静かになった頃に祖父の部屋に行くと、母が出てきて、「帰りなさい。後でお辞儀を
させてあげるから」と涙を流しながらもしっかりと話したことを覚えているという。

 高橋是清蔵相は銃で撃たれた上、左腕を切られている。その写真を見た遺族が、
思わず絶句し、「これほどまで恨まれていたのか」と絞り出すように言うのがやっとであった。
志な夫人は、来訪した新聞記者に向って、「青年将校は卑怯に存じます」と毅然として言った。

 渡辺錠太郎教育総監のすず夫人は、いきなり邸内に入ってきた将校たちに対して、
「どこの部隊ですか。見れば歩三(麻布歩兵第三連隊)ですね。それが軍部の命令ですか。
他に方法がないのですか」と銃剣の前に立ちふさがった。将校たちは、それに答えることなく、
夫人をつき退け、進んでいった。

 鈴木貫太郎侍従長の孝子夫人は、銃撃の末倒れた夫の横で、いつの間にか威儀を
正して正座をしている。凛とした姿であったという。青年将校の安藤中隊長は、夫人に
対して所属と名前を明らかにし、その目的は昭和維新断行のためですとだけ言った。
「まだ脈はある。武士の掟にしたがい、閣下にとどめを・・」と言ったときに、それまで
静かに座っていた夫人が、初めて声を出した。「それだけは私に任せてください」。
少しも身じろぎすることなく言った。安藤中隊長は、「閣下に対して敬礼」と号令を
かけ捧げ銃をしてそのまま立ち去った。その結果、夫は一命を取り留めた。
 尚、孝子夫人は昭和天皇の乳母であり、天皇のもとに、事件の第一報が届けられたのは、
この孝子夫人からであった。天皇の怒りは想像にあまりあるものであろう。

いずれも、事件後の調書において、将校たちは、夫人たちの立派な姿勢を褒めたたえている。 
夫人たちも夫とともに、日本という国を支えているという自負があったのであろう。
女性たちにとっても、重たい「事件」だったのである。

不正から明らかになった日本を覆う不正、騙し、捏造は人の心を恐ろしいほどまでに
破壊している。 しかし、今ここで大切にすべきことは、かかる不正が明らかになった
ことを大切にする必要がある。 本当の「正義」とは何かを考えさせられる。。

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10tt

Author:10tt
 しま しんじ 52歳
大阪市内で製造業を経営。
(他に、3社の代表取締役を兼務)
                   
アルバイト入社にて、35歳で代表取締役に就任。人材育成の教育会社の
研修に参加してそれを機に、経営に対しての勉強を始める。以来15年間
学び続けているが、まだまだやりたいこととできることに紆余曲折の日々!


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