2月11日 役割
admin≫
2009/02/11 22:55:20
2009/02/11 22:55:20
今日は、家でゆっくりと2010年南アW杯アジア最終予選A組第4戦を見ました。
結果は、日本0-0オーストラリアで、日本にとっては痛恨の勝ち点1のドローに終わった。
解説者などは、しきりに中村俊輔の名前を連呼していたが・・。
今のサッカー日本代表の核になっているのは、中村俊輔で日本では中田が引退して、
数少ないファンタジスタと呼べる選手です。現在、中村俊輔はスコットランドリーグの強豪、
セルティックの中核選手として毎試合大活躍で、既に世界的に認められている選手です。
中村俊輔は、横浜マリノスに入団し、マリノスの主力選手に成長した中村俊輔は
ワールドユースに出場するなど活躍。2000年のU-23代表の主力としてシドニー
オリンピックにも出場。さらにはJリーグ年間MVPを日本人選手最年少で受賞しました。
サッカー日本代表のA代表にも選出され、アジアカップでは優勝とベストイレブンを
受賞するなど、日本の中心選手となって行きました。
しかし、2002年、当時日本代表を率いていたトルシエ監督の構想に中村俊輔は
合致せずに日本代表落ち、しかもそれによって当時あがっていたレアルマドリード
への移籍話もつぶれてしまうという、二重の不運が中村俊輔に訪れました。
当時、私は「ディベート」を岡野先生の元で学ばせて頂いていたのでですが、
岡野先生から「ディベート全国大会」の「選手選考」の際の、「例え話」に
この中村俊輔の「代表落ち」の話をされていたことを思い出しました。
岡野先生からは「なぜ、中村俊輔が代表落ちしたのか?」。それは、「役割」という
ものからで、(7年前のことなので、確かこのように言われたと思うのですが・・)
当時の、日本代表候補には、MFとして中田・小野・稲本・小笠原・サントス等がいて
他にも、森島・福西・名波・三浦淳・本山・阿部・遠藤までいた。
FWには、中山・西澤・鈴木・柳沢・久保・高原などが候補にあがっていた。
結局は、MFでは、中村・遠藤・名波・三浦淳・本山・阿部・遠藤は代表落ちで、
FWも、久保・高原は、代表落ちとなった。DFでは中澤も代表落ちとなった。
要するに、中村俊輔という選手を個人で見れば素晴らしい選手ではあるけれど、
組織としての戦略として戦うときには、「中村俊輔」は使うことができないと言う
ことで、23人と言う代表枠でのGK3人、DF6人、MF10人、FW4人には、
総合的に判断すれば、結果的に入れることが出来なかったと言える。
「ディベート」の「全国大会」では「三人一組」で戦っていくのですが、
肯定側、否定側でのそれぞれの役割が決まっていて、適合性もある。
「肯定側立論」担当者は、「否定側」になったときにどんな役割が出来るか?
「肯定側第一反駁」担当者が「否定側」になったときに何が出来るか?
それぞれの立場が変わっても「役割」が果たせないようでは、「勝てない」。
そんな話を頂いて、前年度優勝していたので、二連覇を目指して、昨年以上の
最強の大阪チームを結成したのですが・・。結果は、準決勝で敗退・・。。
当時の恩田団長は「情に流された。。選手選考の失敗」と反省されていた。
結局、「混乱したら真っ白になって話せなかった奴」や「え~~」って言葉を
規定の三分間の中で60回以上言っていた奴」では、先生の「中村俊輔」の
ような素晴らしい選手を引き合いに出した話も全くのムダに終わった。。
会社でも同じようなことが言える、「社長」ばかりが、三人いてる会社。
ナンバー2の役目をしっかり果たす「専務」ばかりが、三人いてる会社。
「財務管理」をしっかり果たす「経理部長」ばかりが、三人いてる会社。
これでは、うまく行かない、すべてにおいて、「適材適所」と「役割」が大事だ。
「タイミング」と「バランス」が大事だと言われているが、
私は、それと「スタンス」と「スタイル」も大事だと思う。
結果は、日本0-0オーストラリアで、日本にとっては痛恨の勝ち点1のドローに終わった。
解説者などは、しきりに中村俊輔の名前を連呼していたが・・。
今のサッカー日本代表の核になっているのは、中村俊輔で日本では中田が引退して、
数少ないファンタジスタと呼べる選手です。現在、中村俊輔はスコットランドリーグの強豪、
セルティックの中核選手として毎試合大活躍で、既に世界的に認められている選手です。
中村俊輔は、横浜マリノスに入団し、マリノスの主力選手に成長した中村俊輔は
ワールドユースに出場するなど活躍。2000年のU-23代表の主力としてシドニー
オリンピックにも出場。さらにはJリーグ年間MVPを日本人選手最年少で受賞しました。
サッカー日本代表のA代表にも選出され、アジアカップでは優勝とベストイレブンを
受賞するなど、日本の中心選手となって行きました。
しかし、2002年、当時日本代表を率いていたトルシエ監督の構想に中村俊輔は
合致せずに日本代表落ち、しかもそれによって当時あがっていたレアルマドリード
への移籍話もつぶれてしまうという、二重の不運が中村俊輔に訪れました。
当時、私は「ディベート」を岡野先生の元で学ばせて頂いていたのでですが、
岡野先生から「ディベート全国大会」の「選手選考」の際の、「例え話」に
この中村俊輔の「代表落ち」の話をされていたことを思い出しました。
岡野先生からは「なぜ、中村俊輔が代表落ちしたのか?」。それは、「役割」という
ものからで、(7年前のことなので、確かこのように言われたと思うのですが・・)
当時の、日本代表候補には、MFとして中田・小野・稲本・小笠原・サントス等がいて
他にも、森島・福西・名波・三浦淳・本山・阿部・遠藤までいた。
FWには、中山・西澤・鈴木・柳沢・久保・高原などが候補にあがっていた。
結局は、MFでは、中村・遠藤・名波・三浦淳・本山・阿部・遠藤は代表落ちで、
FWも、久保・高原は、代表落ちとなった。DFでは中澤も代表落ちとなった。
要するに、中村俊輔という選手を個人で見れば素晴らしい選手ではあるけれど、
組織としての戦略として戦うときには、「中村俊輔」は使うことができないと言う
ことで、23人と言う代表枠でのGK3人、DF6人、MF10人、FW4人には、
総合的に判断すれば、結果的に入れることが出来なかったと言える。
「ディベート」の「全国大会」では「三人一組」で戦っていくのですが、
肯定側、否定側でのそれぞれの役割が決まっていて、適合性もある。
「肯定側立論」担当者は、「否定側」になったときにどんな役割が出来るか?
「肯定側第一反駁」担当者が「否定側」になったときに何が出来るか?
それぞれの立場が変わっても「役割」が果たせないようでは、「勝てない」。
そんな話を頂いて、前年度優勝していたので、二連覇を目指して、昨年以上の
最強の大阪チームを結成したのですが・・。結果は、準決勝で敗退・・。。
当時の恩田団長は「情に流された。。選手選考の失敗」と反省されていた。
結局、「混乱したら真っ白になって話せなかった奴」や「え~~」って言葉を
規定の三分間の中で60回以上言っていた奴」では、先生の「中村俊輔」の
ような素晴らしい選手を引き合いに出した話も全くのムダに終わった。。
会社でも同じようなことが言える、「社長」ばかりが、三人いてる会社。
ナンバー2の役目をしっかり果たす「専務」ばかりが、三人いてる会社。
「財務管理」をしっかり果たす「経理部長」ばかりが、三人いてる会社。
これでは、うまく行かない、すべてにおいて、「適材適所」と「役割」が大事だ。
「タイミング」と「バランス」が大事だと言われているが、
私は、それと「スタンス」と「スタイル」も大事だと思う。
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