7月18日 感動感激
admin≫
2011/07/18 11:10:41
2011/07/18 11:10:41
「なでしこ」が見事な花を咲かせた。日本のサッカー史上、ひときわ輝く快挙!
サッカー女子ワールドカップ(W杯)決勝で、日本は米国をPK戦の末に破り、初優勝を果たした。
「小さな娘たちが本当に粘り強くやってくれた」。佐々木則夫監督は、選手をそうたたえた。

昨日がゴルフだったのでいつもなら早く寝るのですが、午前3時45分から
テレビ放映があるので、ウトウトしながらもその時間まで起きていたのですが
先制したのは米国。後半24分、モーガン選手が左足でゴール。先制点をアメリカに入れられて、
「やっぱり男子同様に惜しいところまで行っても結局は負けるのか・」と思っていたら、
これに対して日本は後半36分、ゴール前で米ディフェンダーのクリアボールがこぼれたところを
宮間あや選手が押し込んで同点に追いつく。同点ゴールで一気に眠気もさめて、そのまま延長戦に!
延長戦にもつれ込むと延長前半14分、米国のワンバック選手がヘディングで勝ち越し。
誰もが「もうダメ」と諦めかけていた時に、日本は試合終了間際の延長後半12分、沢穂希選手が
右足で鮮やかな同点弾を決め、試合は2-2のままホイッスル。PK戦となった。
もう眠気どころか完全に目が覚めた状態で、アドレナリンさえ朝6時に全開状態。。
PK戦ではキーパーの海堀あゆみ選手が大活躍。1人目のシュートをスーパーセーブすると、
2人目失敗の後3人目のゴールも止めた。これに対して日本は1人目の宮間選手、3人目の
阪口夢穂選手が決める。米4人目ワンバック選手がようやく1本返したものの、日本4人目の
熊谷紗希選手が落ち着いてゴールし、3-1のスコアでPK戦を制したなでしこジャパンが、
W杯初の優勝となった。
大会通算5得点を挙げた沢選手が得点王となり、また大会の最優秀選手(MVP)にも選ばれた。
試合後、選手たちは世界中から寄せられた東日本大震災への支援に感謝する横断幕の、
「To Our Friends Around the World, Thank you for Your Support(世界中の友人たちへ、
サポートをありがとう)」と書かれたフラッグを掲げ、会場を一周。3月11日に発生した
東日本大震災を支援するために立ち上がった世界中のサッカー関係者とファンへ向けて
感謝のメッセージを送った。FIFAの公式サイトもこの様子を取り上げ、「日本はサッカー
ファミリーの支援に感謝を示した」と報じている。
場内を一周して被災地からは「私たちも頑張らなくては、という気持ちになった」という声が
上がった。日本全体を元気付ける「なでしこジャパン」の奮闘だった。それにしても、彼女たちの
強くて「最後まで決して諦めない」精神力には驚かされた。
準々決勝では、これまで一度も勝ったことのなかった開催国ドイツを、ホームの大声援を
はね返して撃破した。
決勝では、やはり過去未勝利だった世界ランキング1位の米国に2度、リードされながらも
追いついた。PK戦を前に見せた選手たちの笑顔からは、たくましさが感じられた。
体格で勝る相手でも、最後まであきらめずに勝利をもぎ取った。フェアプレー賞も受賞した。
1991年に始まった女子W杯は、五輪と並ぶ女子サッカー最高峰の舞台だ。4年に1度開催され
日本はこれまで6大会すべてに出場してきた。95年大会でベスト8に入ったが、それ以外は
決勝トーナメントに進めなかった。
日本の女子サッカーが強くなった原動力は、世界の壁にはじき返された悔しさだったろう。
女子でも海外のチームに移籍する選手が増えた。レベルの高いプレーの中でもまれ、力をつけた
選手が日本代表に加わることで、海外組と国内組が競い合う。それが「なでしこ」のチーム力の
底上げにつながったといえる。サッカーに打ち込む小学生や中学生の女子選手が増えている。
沢穂希選手らの活躍を見て、「いつかは自分も」と誓った「未来のなでしこ」もいるだろう。
W杯制覇は、日本女子サッカーの一層のすそ野拡大につながるに違いない。

選手たちは休む間もなく、9月には来年のロンドン五輪のアジア最終予選に臨む。
追われる立場になった「なでしこ」だが、ぜひとも勝ち上がり、五輪でも金メダルを手にしてもらいたい。
サッカー女子ワールドカップ(W杯)決勝で、日本は米国をPK戦の末に破り、初優勝を果たした。
「小さな娘たちが本当に粘り強くやってくれた」。佐々木則夫監督は、選手をそうたたえた。

昨日がゴルフだったのでいつもなら早く寝るのですが、午前3時45分から
テレビ放映があるので、ウトウトしながらもその時間まで起きていたのですが
先制したのは米国。後半24分、モーガン選手が左足でゴール。先制点をアメリカに入れられて、
「やっぱり男子同様に惜しいところまで行っても結局は負けるのか・」と思っていたら、
これに対して日本は後半36分、ゴール前で米ディフェンダーのクリアボールがこぼれたところを
宮間あや選手が押し込んで同点に追いつく。同点ゴールで一気に眠気もさめて、そのまま延長戦に!
延長戦にもつれ込むと延長前半14分、米国のワンバック選手がヘディングで勝ち越し。
誰もが「もうダメ」と諦めかけていた時に、日本は試合終了間際の延長後半12分、沢穂希選手が
右足で鮮やかな同点弾を決め、試合は2-2のままホイッスル。PK戦となった。
もう眠気どころか完全に目が覚めた状態で、アドレナリンさえ朝6時に全開状態。。
PK戦ではキーパーの海堀あゆみ選手が大活躍。1人目のシュートをスーパーセーブすると、
2人目失敗の後3人目のゴールも止めた。これに対して日本は1人目の宮間選手、3人目の
阪口夢穂選手が決める。米4人目ワンバック選手がようやく1本返したものの、日本4人目の
熊谷紗希選手が落ち着いてゴールし、3-1のスコアでPK戦を制したなでしこジャパンが、
W杯初の優勝となった。
大会通算5得点を挙げた沢選手が得点王となり、また大会の最優秀選手(MVP)にも選ばれた。
試合後、選手たちは世界中から寄せられた東日本大震災への支援に感謝する横断幕の、
「To Our Friends Around the World, Thank you for Your Support(世界中の友人たちへ、
サポートをありがとう)」と書かれたフラッグを掲げ、会場を一周。3月11日に発生した
東日本大震災を支援するために立ち上がった世界中のサッカー関係者とファンへ向けて
感謝のメッセージを送った。FIFAの公式サイトもこの様子を取り上げ、「日本はサッカー
ファミリーの支援に感謝を示した」と報じている。
場内を一周して被災地からは「私たちも頑張らなくては、という気持ちになった」という声が
上がった。日本全体を元気付ける「なでしこジャパン」の奮闘だった。それにしても、彼女たちの
強くて「最後まで決して諦めない」精神力には驚かされた。
準々決勝では、これまで一度も勝ったことのなかった開催国ドイツを、ホームの大声援を
はね返して撃破した。
決勝では、やはり過去未勝利だった世界ランキング1位の米国に2度、リードされながらも
追いついた。PK戦を前に見せた選手たちの笑顔からは、たくましさが感じられた。
体格で勝る相手でも、最後まであきらめずに勝利をもぎ取った。フェアプレー賞も受賞した。
1991年に始まった女子W杯は、五輪と並ぶ女子サッカー最高峰の舞台だ。4年に1度開催され
日本はこれまで6大会すべてに出場してきた。95年大会でベスト8に入ったが、それ以外は
決勝トーナメントに進めなかった。
日本の女子サッカーが強くなった原動力は、世界の壁にはじき返された悔しさだったろう。
女子でも海外のチームに移籍する選手が増えた。レベルの高いプレーの中でもまれ、力をつけた
選手が日本代表に加わることで、海外組と国内組が競い合う。それが「なでしこ」のチーム力の
底上げにつながったといえる。サッカーに打ち込む小学生や中学生の女子選手が増えている。
沢穂希選手らの活躍を見て、「いつかは自分も」と誓った「未来のなでしこ」もいるだろう。
W杯制覇は、日本女子サッカーの一層のすそ野拡大につながるに違いない。

選手たちは休む間もなく、9月には来年のロンドン五輪のアジア最終予選に臨む。
追われる立場になった「なでしこ」だが、ぜひとも勝ち上がり、五輪でも金メダルを手にしてもらいたい。
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