4月13日 無償支援
admin≫
2011/04/13 23:01:37
2011/04/13 23:01:37
災害での復興支援に向けて、ボランティア活動が全国各地から被災地で
様々な活動を活発にされています。ボランティアと言うのは、「素人」の
集まり的なイメージもあるのですが、専門職の方も沢山参加されています。
ボランティア活動の原則として挙げられる要素は一般に自発性、無償性、
利他性、先駆性の4つといわれていますが、無償性に関しては、最近では
「謝礼金」とか「実費」に関しては支払われる傾向があるようです。
日々、被災地の状況をテレビなどで見て「何か役に立つなら」とボランティアに
参加されようとする人はたくさんおられるのですが、災害ボランティアは被災地で
活動することになりますので、ライフラインが寸断されていたり、物資も満足に
手に入らなくなっている地域だということをしっかりと理解することが必要です。
なので被災直後の現地で活動するためには、それなりの服装をしなければなりません。
当たり前のことなのですが被災地では人手が足りません。善意のボランティアは
大歓迎ですが、ノリや軽い気持ちで出かけて、現地の人に助けられるような立場に
なったら大迷惑、行かない方がマシだと言ってもいいでしょう。
なので、最低限、ボランティアに参加するなら自分の「食糧」「着替え」は十分に
持って行って、出来れば「携帯トイレ」なども持参するべきでしょう。そして何よりも
自分のゴミはすべて自分で持って帰ること。宿泊先に関しても、手配などはしてもらえる
ことはまずは考えないこと。あくまでも自分のことはすべて自分ですることが基本です。
重要な点は「自分が助けられる側にならない」様にすること。助けに言ったはずなのに
助けられる側になった、というと笑い話が実際にあります。間違っても決して手ブラで
被災地に行かないように。自分のことは自分でできるようにしておくことが大事です。
被災地には何もない、と思った方が良いです。あっても当然現地の人優先です。
特に水・食料は現地で手に入ると思ってはいけません。国などからの供給が
行われるまで、被災地では何も食べるものが無いかも知れません。
自分用の食料や懐中電灯などを考えると結構な大荷物です。全て持っていくことが
できない場合も多いでしょうが、「現地のものは被災者のもの」という意識を持って
できる限り自分のことは自分でできる装備をして行かない限り、来られても迷惑に
なります。だからこそ、情熱を持って、冷静に対応することが必要で、もしそれが
できないのなら現場に行くべきではないということです。「困っている人がいるから
助けようと現場に駆けつけることは尊いことだと思いますが・・。しかし一方で
「重いものを持つのが嫌」「汚れる仕事は無理」だとか、実際に、支援活動の仕事を
選り好みするボランティアがいることが各地避難所では現実の問題になっている。
以前、阪神大震災の後から聞いた話ですが、「ボランティアで現地でお手伝いをすると
最初は、被災者の方たちは涙を流して喜んでくれたり、何かを頼むときにも遠慮して
たりしていたのが、そのうち何でもかんでも頼んでくるようにもなり、感謝の言葉さえも
言われなくなった。現地の人たちが、ボランティアは動いて当たり前だという感覚を
持つようになった。」と。最初は、人の役に立つならと思って参加したボランティアで
あっても、やはりそこは「自分を認めて欲しい」と言う欲求からか、「やって当たり前」と
態度に、「無償」と言うことより感謝と言う「見返り」を期待してしまうようになる。
ボランティアで参加して、最後には被災地の方々から感謝されて、みんなから拍手されて
見送ってもらえるなんて決して期待してはならない。最終的には「良い体験をした」と
自分自身の為にも役に立ったことを感謝すればよい。
「陰徳」と言う言葉があるように、 陰徳とは、誰も見ていないところで徳を積んで
いるという意味で、陽徳とは人が見ているところで徳を積むことです。
「陰徳」と言う人が見ていない所でどこまで徳を積むかということが大切だということです。
陰徳をしている人がいて、それが何かの機会に人に知れると、パアッと世の中に現れてきます。
反対に、人に隠した悪事が何かの機会に漏れると、パアッと世の中の噂となります。人が見て
いないからと行って、悪いことをしてはならないということです。誰も見ていない時ほど
きちんとしている必要があります。徳の行為には、さらに上徳と下徳の二つに分類できる、
と言われています。下徳というのは、「徳を積もう」「徳を積まなければならない」と
自我意識をもって徳を積む行為ですが、上徳というのは、そうした自我意識を持たないで、
少しも報いを求めずに無為にして人を愛し、無為にして善の行為をすることです。
だからこそ、「自分に何が出来るか」と言うことと向き合ってできることを積み重ねて
いくことが必要だとおもいます。それはいろいろな場面で、いろいろな形で出来るはずです。
様々な活動を活発にされています。ボランティアと言うのは、「素人」の
集まり的なイメージもあるのですが、専門職の方も沢山参加されています。
ボランティア活動の原則として挙げられる要素は一般に自発性、無償性、
利他性、先駆性の4つといわれていますが、無償性に関しては、最近では
「謝礼金」とか「実費」に関しては支払われる傾向があるようです。
日々、被災地の状況をテレビなどで見て「何か役に立つなら」とボランティアに
参加されようとする人はたくさんおられるのですが、災害ボランティアは被災地で
活動することになりますので、ライフラインが寸断されていたり、物資も満足に
手に入らなくなっている地域だということをしっかりと理解することが必要です。
なので被災直後の現地で活動するためには、それなりの服装をしなければなりません。
当たり前のことなのですが被災地では人手が足りません。善意のボランティアは
大歓迎ですが、ノリや軽い気持ちで出かけて、現地の人に助けられるような立場に
なったら大迷惑、行かない方がマシだと言ってもいいでしょう。
なので、最低限、ボランティアに参加するなら自分の「食糧」「着替え」は十分に
持って行って、出来れば「携帯トイレ」なども持参するべきでしょう。そして何よりも
自分のゴミはすべて自分で持って帰ること。宿泊先に関しても、手配などはしてもらえる
ことはまずは考えないこと。あくまでも自分のことはすべて自分ですることが基本です。
重要な点は「自分が助けられる側にならない」様にすること。助けに言ったはずなのに
助けられる側になった、というと笑い話が実際にあります。間違っても決して手ブラで
被災地に行かないように。自分のことは自分でできるようにしておくことが大事です。
被災地には何もない、と思った方が良いです。あっても当然現地の人優先です。
特に水・食料は現地で手に入ると思ってはいけません。国などからの供給が
行われるまで、被災地では何も食べるものが無いかも知れません。
自分用の食料や懐中電灯などを考えると結構な大荷物です。全て持っていくことが
できない場合も多いでしょうが、「現地のものは被災者のもの」という意識を持って
できる限り自分のことは自分でできる装備をして行かない限り、来られても迷惑に
なります。だからこそ、情熱を持って、冷静に対応することが必要で、もしそれが
できないのなら現場に行くべきではないということです。「困っている人がいるから
助けようと現場に駆けつけることは尊いことだと思いますが・・。しかし一方で
「重いものを持つのが嫌」「汚れる仕事は無理」だとか、実際に、支援活動の仕事を
選り好みするボランティアがいることが各地避難所では現実の問題になっている。
以前、阪神大震災の後から聞いた話ですが、「ボランティアで現地でお手伝いをすると
最初は、被災者の方たちは涙を流して喜んでくれたり、何かを頼むときにも遠慮して
たりしていたのが、そのうち何でもかんでも頼んでくるようにもなり、感謝の言葉さえも
言われなくなった。現地の人たちが、ボランティアは動いて当たり前だという感覚を
持つようになった。」と。最初は、人の役に立つならと思って参加したボランティアで
あっても、やはりそこは「自分を認めて欲しい」と言う欲求からか、「やって当たり前」と
態度に、「無償」と言うことより感謝と言う「見返り」を期待してしまうようになる。
ボランティアで参加して、最後には被災地の方々から感謝されて、みんなから拍手されて
見送ってもらえるなんて決して期待してはならない。最終的には「良い体験をした」と
自分自身の為にも役に立ったことを感謝すればよい。
「陰徳」と言う言葉があるように、 陰徳とは、誰も見ていないところで徳を積んで
いるという意味で、陽徳とは人が見ているところで徳を積むことです。
「陰徳」と言う人が見ていない所でどこまで徳を積むかということが大切だということです。
陰徳をしている人がいて、それが何かの機会に人に知れると、パアッと世の中に現れてきます。
反対に、人に隠した悪事が何かの機会に漏れると、パアッと世の中の噂となります。人が見て
いないからと行って、悪いことをしてはならないということです。誰も見ていない時ほど
きちんとしている必要があります。徳の行為には、さらに上徳と下徳の二つに分類できる、
と言われています。下徳というのは、「徳を積もう」「徳を積まなければならない」と
自我意識をもって徳を積む行為ですが、上徳というのは、そうした自我意識を持たないで、
少しも報いを求めずに無為にして人を愛し、無為にして善の行為をすることです。
だからこそ、「自分に何が出来るか」と言うことと向き合ってできることを積み重ねて
いくことが必要だとおもいます。それはいろいろな場面で、いろいろな形で出来るはずです。
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