4月21日 危機管理
admin≫
2008/04/21 23:59:59
2008/04/21 23:59:59
朝の報告で今年で三年目になる中国からの「実習生」が、足首を「亀裂骨折」したとのこと、
土曜日の夜に寮の階段の下から三段目から滑って落ちたのと事で、翌日には腫上がって、
研修生や実習生達の生活指導員である工場長に電話をして病院につれて行って貰って
診察を受け、診断結果は全治二ヶ月の「亀裂骨折」との診断で松葉杖での生活になる。
本人にとっては、骨折の痛み以上に「仕事が出来ない」ことにかなりショックが大きかったようで、
今年の8月には三年間の研修期間を満了して帰国する予定になっているが、残り三ヶ月の内
二ヶ月間は仕事が出来ない場合は、「強制帰国」もあり得るだけに、おそらく土曜・日曜の夜は、
不安で眠れなかったと思う。(最初は、寮の仲間達にも内緒にしていたようですが・・・)
報告後、「実習生」と面談を行ったが、本人からは「来週から働きます!」との強い希望が!
しかしながら、工場業務では、ほとんどが立って仕事をする為に、ギブスをして松葉杖で、
出来るような仕事もないし、まして怪我人を、工場内に立ち入らせることも安全上出来ない。
取敢えずは、納得したようだがこちらからの「帰国の希望はあるか?」の問い掛けには、
「8月の満了までは、帰りたくない!」と熱望した為、受け入れることとし、「治療に専念」
することを伝えた。二ヶ月間は「無給」にはなるが「社会保険」からの「傷病手当」が支給
されることも伝えたことで、かなり表情も明るくなったようで「金銭的な負担」も不安材料で
あったみたいだった。焦らず、慌てず、一日も早い回復を祈るだけだが、頑張って欲しい!
しかしながら、一名の「戦線離脱」は工場の戦力としては、本人以上に「痛い」ことである。
5月末にて、16年間勤務していた正規在留資格にて「永住権」を取得している中国の方が、
帰国することになり、その補充として2月に新規採用を1名したところで、工場人員には1名
程度の余剰の人員しか配置をしていない為、不測の事態での欠勤者に対しては対応が
厳しい状態になってしまう。今年は、8月に二名の「実習生」の帰国も控えていて、その
代わりの補充人員は、10月からの配属なるので、今年は、昨年からその対応に対して
様々な手段を講じてきたが、想定外の「まさか」の状況が発生したのである。
正直、「怪我人」の発生に備えてまでの「危機管理の対策」はしてなかったが・・。
色々と苦慮していたところ、工場長から「社長にお願いがあるのですが・・」とのこと。
一瞬、「また何か悪いことでも発生したのか・・」と不安が脳裏をかすめていくが、
「実は、昨年末で定年退職した者から、一ヶ月ほど前から連絡が頻繁にあって、
何かあるのかな?と聞いたところアルバイトで良いのでもう一度働かせて欲しい!」と
理由を聞くと、「働いている時は、定年後はゆっくりしたいと思っていたが、三ヶ月も
毎日毎日することもなく、ブラブラしてることで、体重も増え、体も動かしていないので
夜も眠れなくて、たまたま血液検査をしたら「糖尿病」の一歩手前の診断され、
働いている時は、病気一つしなかったのに、このままでは本当に病人なる」とのことで
工場長に「懇願」してきたと言う。元々、良く働く社員さんで、退職の際は「慰留」もしたが
本人から「40年以上働き続けてきたので、少しゆっくりしたい」との意向で円満退職で
「定年退職慰労会」も社内で行い、惜しまれて退職した人であった為、私にとってだけでなく
工場内の人員に対して私同様に苦慮していた工場長にとっても言葉は悪いが「渡りに船」
「棚からぼた餅」である。早速、連絡を取っていつから働けるかを確認するようにと指示した。
本人からは「今からでも行きます!」との返事であったが、「じゃあ明日から!」ということに!
これで「危機的状況を回避」することが出来た。「棚からぼた餅」と言うが、
「棚」がなければ「ぼた餅」はない!ということになる。すべてはこの日を想定して
関わってきたわけではないが、「結果」としては「棚」が出来ていたということになる。
自分自身の「人こそ唯一の経営資源」としての取り組みが報われたような気がして、
「ありがとう」という言葉が誰に対して言ったのかもわからないが無意識に出た。
土曜日の夜に寮の階段の下から三段目から滑って落ちたのと事で、翌日には腫上がって、
研修生や実習生達の生活指導員である工場長に電話をして病院につれて行って貰って
診察を受け、診断結果は全治二ヶ月の「亀裂骨折」との診断で松葉杖での生活になる。
本人にとっては、骨折の痛み以上に「仕事が出来ない」ことにかなりショックが大きかったようで、
今年の8月には三年間の研修期間を満了して帰国する予定になっているが、残り三ヶ月の内
二ヶ月間は仕事が出来ない場合は、「強制帰国」もあり得るだけに、おそらく土曜・日曜の夜は、
不安で眠れなかったと思う。(最初は、寮の仲間達にも内緒にしていたようですが・・・)
報告後、「実習生」と面談を行ったが、本人からは「来週から働きます!」との強い希望が!
しかしながら、工場業務では、ほとんどが立って仕事をする為に、ギブスをして松葉杖で、
出来るような仕事もないし、まして怪我人を、工場内に立ち入らせることも安全上出来ない。
取敢えずは、納得したようだがこちらからの「帰国の希望はあるか?」の問い掛けには、
「8月の満了までは、帰りたくない!」と熱望した為、受け入れることとし、「治療に専念」
することを伝えた。二ヶ月間は「無給」にはなるが「社会保険」からの「傷病手当」が支給
されることも伝えたことで、かなり表情も明るくなったようで「金銭的な負担」も不安材料で
あったみたいだった。焦らず、慌てず、一日も早い回復を祈るだけだが、頑張って欲しい!
しかしながら、一名の「戦線離脱」は工場の戦力としては、本人以上に「痛い」ことである。
5月末にて、16年間勤務していた正規在留資格にて「永住権」を取得している中国の方が、
帰国することになり、その補充として2月に新規採用を1名したところで、工場人員には1名
程度の余剰の人員しか配置をしていない為、不測の事態での欠勤者に対しては対応が
厳しい状態になってしまう。今年は、8月に二名の「実習生」の帰国も控えていて、その
代わりの補充人員は、10月からの配属なるので、今年は、昨年からその対応に対して
様々な手段を講じてきたが、想定外の「まさか」の状況が発生したのである。
正直、「怪我人」の発生に備えてまでの「危機管理の対策」はしてなかったが・・。
色々と苦慮していたところ、工場長から「社長にお願いがあるのですが・・」とのこと。
一瞬、「また何か悪いことでも発生したのか・・」と不安が脳裏をかすめていくが、
「実は、昨年末で定年退職した者から、一ヶ月ほど前から連絡が頻繁にあって、
何かあるのかな?と聞いたところアルバイトで良いのでもう一度働かせて欲しい!」と
理由を聞くと、「働いている時は、定年後はゆっくりしたいと思っていたが、三ヶ月も
毎日毎日することもなく、ブラブラしてることで、体重も増え、体も動かしていないので
夜も眠れなくて、たまたま血液検査をしたら「糖尿病」の一歩手前の診断され、
働いている時は、病気一つしなかったのに、このままでは本当に病人なる」とのことで
工場長に「懇願」してきたと言う。元々、良く働く社員さんで、退職の際は「慰留」もしたが
本人から「40年以上働き続けてきたので、少しゆっくりしたい」との意向で円満退職で
「定年退職慰労会」も社内で行い、惜しまれて退職した人であった為、私にとってだけでなく
工場内の人員に対して私同様に苦慮していた工場長にとっても言葉は悪いが「渡りに船」
「棚からぼた餅」である。早速、連絡を取っていつから働けるかを確認するようにと指示した。
本人からは「今からでも行きます!」との返事であったが、「じゃあ明日から!」ということに!
これで「危機的状況を回避」することが出来た。「棚からぼた餅」と言うが、
「棚」がなければ「ぼた餅」はない!ということになる。すべてはこの日を想定して
関わってきたわけではないが、「結果」としては「棚」が出来ていたということになる。
自分自身の「人こそ唯一の経営資源」としての取り組みが報われたような気がして、
「ありがとう」という言葉が誰に対して言ったのかもわからないが無意識に出た。
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