4月19日 与える
admin≫
2008/04/19 23:59:59
2008/04/19 23:59:59
今日は、土曜日にも拘わらず定刻の夕方から、南大阪の経営研究会の理事会で
今回は、「非常に重要な案件」として「次年度の会長選挙」の「予備選」がありました。
会長選出に関しては、会長選出候補への資格が必要ですが、今回はその有資格者が
15名と成っている為に、「理事会」にて会員さん方がより選出の為に投票しやすいように
3名から5名を選出致しますが、今回は、「三名」の方に決定致しました。
いずれ劣らぬ会長としてふさわしい素晴らしい方ばかりで、投票には色々と悩む方も
多々出で来ることかと思います。 5月22日から7月6日までの投票期間で、
7月7日が「選挙管理委員会」にて開票され、7月14日の理事会にて承認となります。
是非、新会長には「更なる活性化した会」になるよう期待します!!
思い起こせば、私自身も今から7年前の同時期に会長候補として選出されたときは、
所属していた大阪の経営研究会は、会長候補の有資格者だけでも30名以上の
方々がいましたから5名からの選出でした。
その5名の候補者に選ばれることだけでも緊張もありましたが、その中でも、一番入会年数も短く、
理事としての経験も浅く、まして最年少であるが故に会長になるなんて思ってもなかったですが、
開票結果を知らされた時には、「頭の中が一瞬真っ白!目の前が真っ暗!」状態に・・・
当時の会長からは、「今まで見たことも無いぐらい顔が引きつっていた」と言われました。
当時は、諸々の事情があって「大阪の危機的状況」と揶揄されていて、前年度200名いた
会員さんが、150名に激変し、会の財務状況も繰越金も微々たる金額しかなく最悪・・。
出来れば、こんな時期の会長はやりたくないと思っていた人も少なくなかったと思う・・。
会長になれば、自分自身の方針に沿った組織体制を作らなければならない。
わかりやすく言えば、総理大臣が各大臣を決めるような組閣が必要になる。
幸い執行部としてとても重要なポストである事務局長の小林さんはすぐに快諾!
副会長の三名もその場で電話して懇願したところ三名共に快諾、事務局次長の
二名も事務局長と相談してお願いしたところ快諾!残りは、各委員長と副委員長を
決めて行くのだが、私の念いを伝えながら、各担当の副会長と相談してすべて若手で
比較的、会への入会年数が短い新人のこれから伸びるであろうと思う方々を起用した!
会の重鎮と呼ばれる方々からは「もっと会での貢献も多く経験豊富な方に、面識がなければ
お願いしてあげようか?」と歴代の会長の方々からもお気遣いや心配の電話まで頂いたが、
「この体制を決めたのは私なので、責任はすべて私が取ります!」と配慮をお断りした。
内心は、やれると言う自信はあったが、確信はなかった。と言えるが、「念ずれば花開く」!
理事役員が一枚岩となって、時には朝方まで飲み明かし、本音でぶつかり合うこともあった。
どんどんコミュニケーションも深まり、同じ思いを共有することでみんなが「同志」として関わった
ことで二年間の会長任期の間は、理事役員も同様に二年間留任して必死で取り組んだことで
周囲の危惧や心配をよそに会員数も200名を超え、参加率も上がり、財務内容も潤沢な運営
資金を確保することも出来た!(日本一金持ちの経営研究会と言われました!)
当時の、委員長が、現 南大阪の山本会長・北大阪の植田会長、前大阪の柳原会長、
副委員長に、現 大阪の鈴木会長、神戸では元 香川会長、前 山本会長であった。
玉川副会長は私の後の大阪の会長に、三井副会長は、南大阪の初代会長に、
小林事務局長は、ファシリテーターやチューターで大活躍されています。
こうして様々な成果を残せたことは、決して私一人で出来たことではない!
多くの人に、惜しみなく時間を援助して貰った。
多くの人に、自分のことのように協力して貰った。
多くの人に、どんなときでも本気で行動して貰った。
多くの人に、時には厳しい評価をして指導して貰った。
そして多くの人に、学んで楽しんで喜んで泣いて貰った。
素晴らしい仲間に感謝することと、そんな体験を一人でも多くの人にして貰いたい。
「与えよ さらば与えられん」 多くの人に「与えられる」人間になる為に! 頑張ります!
今回は、「非常に重要な案件」として「次年度の会長選挙」の「予備選」がありました。
会長選出に関しては、会長選出候補への資格が必要ですが、今回はその有資格者が
15名と成っている為に、「理事会」にて会員さん方がより選出の為に投票しやすいように
3名から5名を選出致しますが、今回は、「三名」の方に決定致しました。
いずれ劣らぬ会長としてふさわしい素晴らしい方ばかりで、投票には色々と悩む方も
多々出で来ることかと思います。 5月22日から7月6日までの投票期間で、
7月7日が「選挙管理委員会」にて開票され、7月14日の理事会にて承認となります。
是非、新会長には「更なる活性化した会」になるよう期待します!!
思い起こせば、私自身も今から7年前の同時期に会長候補として選出されたときは、
所属していた大阪の経営研究会は、会長候補の有資格者だけでも30名以上の
方々がいましたから5名からの選出でした。
その5名の候補者に選ばれることだけでも緊張もありましたが、その中でも、一番入会年数も短く、
理事としての経験も浅く、まして最年少であるが故に会長になるなんて思ってもなかったですが、
開票結果を知らされた時には、「頭の中が一瞬真っ白!目の前が真っ暗!」状態に・・・
当時の会長からは、「今まで見たことも無いぐらい顔が引きつっていた」と言われました。
当時は、諸々の事情があって「大阪の危機的状況」と揶揄されていて、前年度200名いた
会員さんが、150名に激変し、会の財務状況も繰越金も微々たる金額しかなく最悪・・。
出来れば、こんな時期の会長はやりたくないと思っていた人も少なくなかったと思う・・。
会長になれば、自分自身の方針に沿った組織体制を作らなければならない。
わかりやすく言えば、総理大臣が各大臣を決めるような組閣が必要になる。
幸い執行部としてとても重要なポストである事務局長の小林さんはすぐに快諾!
副会長の三名もその場で電話して懇願したところ三名共に快諾、事務局次長の
二名も事務局長と相談してお願いしたところ快諾!残りは、各委員長と副委員長を
決めて行くのだが、私の念いを伝えながら、各担当の副会長と相談してすべて若手で
比較的、会への入会年数が短い新人のこれから伸びるであろうと思う方々を起用した!
会の重鎮と呼ばれる方々からは「もっと会での貢献も多く経験豊富な方に、面識がなければ
お願いしてあげようか?」と歴代の会長の方々からもお気遣いや心配の電話まで頂いたが、
「この体制を決めたのは私なので、責任はすべて私が取ります!」と配慮をお断りした。
内心は、やれると言う自信はあったが、確信はなかった。と言えるが、「念ずれば花開く」!
理事役員が一枚岩となって、時には朝方まで飲み明かし、本音でぶつかり合うこともあった。
どんどんコミュニケーションも深まり、同じ思いを共有することでみんなが「同志」として関わった
ことで二年間の会長任期の間は、理事役員も同様に二年間留任して必死で取り組んだことで
周囲の危惧や心配をよそに会員数も200名を超え、参加率も上がり、財務内容も潤沢な運営
資金を確保することも出来た!(日本一金持ちの経営研究会と言われました!)
当時の、委員長が、現 南大阪の山本会長・北大阪の植田会長、前大阪の柳原会長、
副委員長に、現 大阪の鈴木会長、神戸では元 香川会長、前 山本会長であった。
玉川副会長は私の後の大阪の会長に、三井副会長は、南大阪の初代会長に、
小林事務局長は、ファシリテーターやチューターで大活躍されています。
こうして様々な成果を残せたことは、決して私一人で出来たことではない!
多くの人に、惜しみなく時間を援助して貰った。
多くの人に、自分のことのように協力して貰った。
多くの人に、どんなときでも本気で行動して貰った。
多くの人に、時には厳しい評価をして指導して貰った。
そして多くの人に、学んで楽しんで喜んで泣いて貰った。
素晴らしい仲間に感謝することと、そんな体験を一人でも多くの人にして貰いたい。
「与えよ さらば与えられん」 多くの人に「与えられる」人間になる為に! 頑張ります!
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